写真家 千葉和広


姉妹サイト「 untalkative photographs 」は、ほぼ毎日更新。こちらのサイトは過去の写真も含めて動画とショートエッセイで随時更新しています。

2016/05/17

・・2006年3月 / 仙台・勾当台公園市民広場2・・


今回も旧サイトからの転載です。

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“ 荒川静香選手「金メダルおめでとう」記念式 ”にて。その2

会場では遠目でしか見えなかった荒川選手をひとめ間近に見ようという「出待ち」
列に紛れ込む。じりじりと待たされること20分あまり、やっとお目当ての白い
ワゴン車があらわれた。

歓声が上がり、デジカメ、ケイタイがいっせいにシャッターチャンスをねらう。だが
窓のカーテンは閉じられたまま、中はまったく見えない。ワゴン車があっけなく通り過

ぎるとあたりは一瞬静まりかえった。そのあとはブーイングの嵐。



パレード、式典に集まった人々は73000人、「七夕並み」の混雑だったそうだ。

2006.4.11 記

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自分で撮影していて言うのも何ですが、写真だけ見ていると撮影年代がよく分かりません。アスファルトのでこぼこから「昭和テイスト」がにじみ出てくるからでしょうか。

タイトルにもあるように撮影したのは2006年。すでに携帯・デジカメとも充分に普及していましたが、意外にカメラをもっている人が少ない気がします。(旧サイトでは "デジカメ、ケイタイがいっせいにシャッターチャンスをねらう"と書いていますね。すいません。脚色してます。)

今だったら8割ぐらいの人がスマートフォンを出して待ちかまえているはずです。

おそらく動画で。

2016.5.17


2016/05/15

・・2011年6月 / 仙台港・・


「仙台港国際ビジネスサポートセンター(愛称アクセル)」と言われても地元でも分からない人が大半だろうだろう。「夢メッセみやぎ」(いわゆる見本市会場)に付随する建物、と言われてまあ何となく、というぐらいの知名度だと思う。

仙台港と名称にあるぐらいなので、すぐ目の前が海という立地だ。震災当日のラジオ放送で「仙台港に10メートルの津波」といっているのを聴いて、大概の建物は流されてしまうかと思った。正確にいうとそれは後から思ったことで「10メートルの津波」といのは誤報だとおもった。仙台平野に津波が10メートルも上がる訳がない、情報が錯綜しているだけなのだと。

こちらの建物は何とか持ちこたえ、1年4ヶ月後には再開している。

2016.5.15

2016/05/14

・・2011年3月 / 仙台・六丁の目東交差点付近 ・・


震災から約2週間後。私がおそるおそる足を踏み入れた初めての「被災地」。自宅から自転車をこいで30分ぐらい、よく車で通っている地元では産業道路と呼ばれる県道23号線の六丁の目東交差点を少し脇に入ったところだ。海岸からは直線距離で約4kmほどある。

どんよりとした曇空のもとに広がるまったく色の無い風景。360度どこにカメラを向けても「写真」が撮れる、夢のようだが悪夢の世界。

シャッターをきったのは16枚。たったの。

2016.5.14


2016/05/12

・・2006年3月 / 仙台・勾当台公園市民広場・・


今回も旧サイトからの転載です。

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“ 荒川静香選手「金メダルおめでとう」記念式 ”にて


黒山の人だかりとなった会場で「穴場」を発見した。正面舞台を真横から見るかた
ちになるが、会場内にいるよりはだいぶ近くに見える。胸にさげた大きなドーナッツ
のような金メダルもときおりきらりと輝く。
背のあまり高くない女性などは、必死に背伸びをして樹木や垣根の間から何とかの
ぞき込もうとするが、それを遮るように二人のスーツ姿の男が立ちはだかった
何やら言葉を交わしながらニヤリと笑う男たちの目に、我々はどのように映ってい
るだろうか。こちら側の意見は皆同じである。

ひとこと・・・・・・「ジャマだ!」

2006.5.2

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10年前の写真・記事。「ジャマだ!」などと若書きで大変申し訳ありません。(当時もたいして若くはありませんでしたが)

2016.5.12


2016/05/11

・・2011年9月 / 仙台・岡田・・


仙台市若林区の岡田地区。整然と区画された田園風景にまっすぐな農道が走っている。2011年は津波で海水が入ってしまい稲の作付はできなかったようだ。モノクロなのでよくわからないかもしれないが、田んぼに生えているのは稲には似ているがすべて雑草である。

警備員の人が所在なげにちょこんと座っている。私も若いころに警備員のバイトをしたことがあるが、いろいろとやったバイトの中では苦痛なほうであった。頻繁に車や人通りがある場合はやる事があってよいのだが、「何でオレはこんなところに立っているんだ!」という思いもしばしばである。(法律上いたしかたないか)

まだ20代前半で、こういう苦労が(苦労というほどでもないが)将来実を結ぶ。など考えていたが、今になってみるとあまり関係ないような気がする。

2016.5.11

2016/05/10

・・2012年10月 / 宮城・七ヶ浜町・・


震災から約1年半が経過した七ヶ浜町の菖蒲田海岸。10月に入ったが天気もよく暖かい日だった。何かの視察団の方々の様子は、震災1年目とは違いどこか和やかなかんじがする。

ここ七ヶ浜は、私が震災前の風景を知っている数少ない場所のひとつだ。幼いころは両親に連れられて海水浴、小学生になると友達と一緒に釣り、成人してからも帰省の折に何となく訪れる、懐かしい記憶のある場所だった。(そういえば、高校生のとき夏休みの部活の練習をサボって、皆で泳ぎにきたということもあった。)

旧サイトにも写真・記事があったので、そちらも再録します。

2016.5.10

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宮城・七ヶ浜町 / 2007年1月

小学生のころよくアイナメ釣りをした松が浜漁港に初日の出を見に行った。
現地に着いたのは6時半ごろ、薄明るくなってきた夜空を背景にして防波提
に立つ人々のシルエットが少しづつ浮かびあがってくる。


ひさびさに夢中になって写真をとっていながらも、ふと思ったのだが、写
真を撮る人間は物事をあまりよく見ていないのではないのだろうか。何とい

っても今まさに大海原から初日の出が昇ろうというときに、自分好みの構図

はないかと小さなファインダーから片目でのぞいているような人種なのだ。


幼なじみの友達とよく釣りにきていたころ、引きのない時間帯はテトラポ
ットに腰掛けながら二人とも黙って水平線を眺めていた。「この海はアメリ

カまでつながっているんだよな。」などと少年らしいロマンチックなことを

ときおり口にしながら。そのときの両方の目はしっかりとあけられていたは

ずだ。


2007.1.8